西ローマ帝国の皇帝

西ローマ帝国の皇帝一覧

名前は本名ではなく通称を表記しています。

名前 アルファベット表記 在位期間
説明
ホノリウス Honorius
393年~423年
父の東方正帝テオドシウス1世が西ローマ帝国へ侵攻、首都ミラノを占領して、ホノリウスを西方正帝に就けた。反乱や蛮族の侵入が相次いだが、将軍スティリコが東西奔走し撃退した。しかし次第に不和になりスティリコを処刑すると、人質の蛮族の妻子を処刑し、蛮族との講和を反故にした。そのせいでローマが包囲され3日間に渡って略奪された。
コンスタンティヌス3世 Constantinus III
407年~411年
軍団に擁立され皇帝を宣言して、ホノリウスに反乱を起こした。その後、共同皇帝として承認することを条件にホノリウスと和睦した。この和睦のせいで支持していた軍隊、地域を失い、僭称帝の反乱に敗れ処刑された。
コンスタンティウス3世 Constantius III
421年
優秀な軍人でホノリウスに対立した僭称帝や蛮族を討伐した。その功績でホノリウスの妹と婚姻、共同皇帝に任命された。
ヨハンネス Iohannes
423年~425年
ホノリウス逝去後、元老院から推挙され皇帝に即位した。帝位を承認しない東方正帝テオドシウス2世が、討伐を命じたアスパル親子に敗れて処刑された。
ウァレンティニアヌス3世 Valentinianus III
424年~455年
東方正帝テオドシウス2世が、西方正帝ヨハンネスを討伐し、幼いウァレンティニアヌスを西方正帝に任命した。蛮族の侵略により領土が失われて、帝国の権勢は衰える一方だった。蛮族防衛で功績を挙げたアエティウスを、処刑したことでその部下に暗殺された。
ペトロニウス・マクシムス Petronius Maximus
455年
ウァレンティニアヌス3世を暗殺後に元老院に擁立され皇帝(西方正帝)に即位した。ヴァンダル族来襲のさい逃亡を試みたため、激昂した民衆に殺害された。
アウィトゥス Avitvs
455年~456年
西ゴート族に擁立され皇帝(西方正帝)に即位した。リキメルとマヨリアヌスが反乱を起こし、それに敗れて廃位された。
マヨリアヌス Maiorianus
457年~461年
ゲルマン人の将軍リキメルや軍隊に擁立され皇帝(西方正帝)に即位した。当初はリキメルの傀儡と思われていたが、税制改革や行政改革、ブルグント族と西ゴート族を撃退して皇帝としての有能さを示した。
リウィウス・セウェルス Libius Severus
461年~465年
ゲルマン人の将軍リキメルに擁立されて皇帝(西方正帝)に即位した。リキメルの従順な傀儡だったという。帝位を認めない属州や蛮族の征服により、支配領域はイタリアに限られた。
アンテミウス Anthemius
467年~472年
東ローマ皇帝レオ1世の指名によって空位になっていた皇帝(西方正帝)に即位した。北アフリカのヴァンダル族に対して、東西ローマ帝国合同で遠征したが大敗した。その後リキメルとの対立が内乱にまで発展し、ローマで敗れ殺害された。
オリブリオス Olybrius
472年
ヴァンダル族が来襲したさい、コンスタンティノープルに逃げていた。472年に東ローマ帝国皇帝レオ1世によってイタリア半島に派遣され、アンテミウス殺害後に皇帝に即位。流行病により4ヶ月足らずで病死した。
グリケリウス Glycerius
473年~474年
ブルグント族に擁立されて皇帝に即位。東ローマ帝国レオ1世によって西ローマ帝国皇帝に指名された、ユリウス・ネポスによって追放された。
ユリウス・ネポス Julius Nepos
474年~480年
妻の叔父にあたる東ローマ帝国レオ1世によって西ローマ帝国皇帝に指名された。グリケリウスを追放し帝位に就くが、軍司令官オレステスの謀反に遭いダルマティアへ亡命した。亡命先で西方帝位の正統性を認められていたが、護衛兵によって暗殺された。
ロムルス・アウグストゥルス Romulus Augustulus
475年~476年
父オレステスがユリウス・ネポスを追放した後、皇帝に即位。ゲルマン人の将軍オドアケルによって、退位させられて追放された。西ローマ帝国最後の皇帝。

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